2025-0703-Thu
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2008-1202-Tue
{復活}
{復活}
半年ほど死んでたサイトを更新。ほったらかしすぎました。今月は更新の時間をつくるる。
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2008-0803-Sun
{気分転換の日}
{気分転換の日}
今日は部屋主たけうちと板橋区の美術館にいってきた。
とかく予定だったけど結局いってない。
でも板橋区には行った。行ったはいいが時間配分を考えず、美術館には完全に間に合わなくなってあきらめた。
のどがかわいてしょうがなかったから成増駅近くのデニーズでドリンクバー。うーんファミレスの雰囲気は久しぶりだ。うーん・・・。
と思ったが、なんとなく美術館のアクセスマップをプリントした紙にらくがきしてるとアイデアがわきでた。わき水くらい。ちょろちょろな感じで。
なので良しとする。
美術館は最終日に行くことにした。楽しみ。
わたしはたけうちの後ろをバイクでついてっただけだけど、山とか森とか湖とか寺とかが見れてとても気分転換になった。人間は定期的に自然に触れた方がいいんじゃないかと思った。
とかく予定だったけど結局いってない。
でも板橋区には行った。行ったはいいが時間配分を考えず、美術館には完全に間に合わなくなってあきらめた。
のどがかわいてしょうがなかったから成増駅近くのデニーズでドリンクバー。うーんファミレスの雰囲気は久しぶりだ。うーん・・・。
と思ったが、なんとなく美術館のアクセスマップをプリントした紙にらくがきしてるとアイデアがわきでた。わき水くらい。ちょろちょろな感じで。
なので良しとする。
美術館は最終日に行くことにした。楽しみ。
わたしはたけうちの後ろをバイクでついてっただけだけど、山とか森とか湖とか寺とかが見れてとても気分転換になった。人間は定期的に自然に触れた方がいいんじゃないかと思った。
2008-0702-Wed
{通勤電車のオジサン}
{通勤電車のオジサン}
通勤電車では混んでいるからといって、ただ直立して目的地に到着するのをじんと待つのもしゃくなので本なん かを読んだりするのだけれど、私の目的地は到着するのにそこそこの時間を要するので、それまでの停車駅で人々が下車してゆき席もちらほら空いたりなんかし てそのうちの一つに座ったりなんかすると、急に本に興味がなくなり周りの人間を見渡したくなる時がある。
というのも、世の中にはいろんな人がいるので当然電車の中にもいろんな人がいるわけで、私はそんな人々を観察するのがわりと好きだ。
とくに、通勤のため毎日同じ時間同じ電車に乗る会社員を見るのがこれ一興である。
毎 日同じ時間に同じ電車に乗るという行為はとても退屈で面倒なことで、だからみんな本や新聞を読んだり音楽を聴いたり、それぞれに暇をつぶす、時間を利用す るための道具を用意して通勤に望むのであるが、その道具というものは大概が自分の世界に入り込む、周りからの情報を遮断して自分の空間を作るというような ものばかりだ。そらあ毎日遅刻も許されないので同じ時間に交通機関という名の箱の中に入ってごとごと揺られ、夕方には疲れた体でまた同じ箱の中に入り、望 んでないのにごとごと揺られながら帰途につく。その時間が長ければ長いほど、ただ揺られてる時間がもったいないと殆どの日本人は思う。と思う。
まあそんなわけで電車の中には本を読んだり音楽を聴いたりプライベートな時間に変えてしてしまう輩が続出。さらにそんな毎日になれるともう周りなんかどうでもよくなって完全に自分の世界に入ってもはや当人にとって車内は自分の部屋と化している。
自分の部屋だから新聞を広げて見ることも、大口開けてあくびをすることも、本を見てにやりとすることも、携帯を見てにやりとすることにも、恥じらいなど感じないし、見られていても気にしない。むしろ見られているかもしれないという概念など既に消え失せている。
そんな彼らはもはや通勤中の会社員などではない。家の中での彼らの様子を生で見ているのと同じだ。
つまりなにが言いたいかっていうと、人間の油断している姿を見るのがおもしろいのだ。
会社に着いたら気を張ってバリバリ働くのであろう人が電車のなかじゃ素の姿なんかをさらけだしていて、時には馬鹿丸だしな人なんかもいる。それが公共の場で見られるということも含め非常に愉快なのだ。
今日見ていたオジサンもなかなか愉快だった。本を読んでいたのだが、すごく肩身が狭いのだ。
肩 身が狭いというのは通常、世間体をはばかる気持ちという意味合いで使われるが、彼の場合は本当に肩幅をこれでもかといわんばかりに縮め、その狭い肩身を揺 さぶりながら首をくねくねさせながら、座席に浅く座って両膝をしっかりと閉じ、本を両手で持ち顔に近づけながら読むのだ。そして時折笑顔。
体にかなり無駄な力が入っている。でもこれが本来の彼の姿だ。
黒の中折れ帽子をかぶっていたが、少しチャップリンを思わせるような動きでなかなか可愛らしかった。
そんなことを考えながら目的地で電車を降りると、駅までの通勤に使っている自転車がパンクしていた。
でもそれはまた別の話。
というのも、世の中にはいろんな人がいるので当然電車の中にもいろんな人がいるわけで、私はそんな人々を観察するのがわりと好きだ。
とくに、通勤のため毎日同じ時間同じ電車に乗る会社員を見るのがこれ一興である。
毎 日同じ時間に同じ電車に乗るという行為はとても退屈で面倒なことで、だからみんな本や新聞を読んだり音楽を聴いたり、それぞれに暇をつぶす、時間を利用す るための道具を用意して通勤に望むのであるが、その道具というものは大概が自分の世界に入り込む、周りからの情報を遮断して自分の空間を作るというような ものばかりだ。そらあ毎日遅刻も許されないので同じ時間に交通機関という名の箱の中に入ってごとごと揺られ、夕方には疲れた体でまた同じ箱の中に入り、望 んでないのにごとごと揺られながら帰途につく。その時間が長ければ長いほど、ただ揺られてる時間がもったいないと殆どの日本人は思う。と思う。
まあそんなわけで電車の中には本を読んだり音楽を聴いたりプライベートな時間に変えてしてしまう輩が続出。さらにそんな毎日になれるともう周りなんかどうでもよくなって完全に自分の世界に入ってもはや当人にとって車内は自分の部屋と化している。
自分の部屋だから新聞を広げて見ることも、大口開けてあくびをすることも、本を見てにやりとすることも、携帯を見てにやりとすることにも、恥じらいなど感じないし、見られていても気にしない。むしろ見られているかもしれないという概念など既に消え失せている。
そんな彼らはもはや通勤中の会社員などではない。家の中での彼らの様子を生で見ているのと同じだ。
つまりなにが言いたいかっていうと、人間の油断している姿を見るのがおもしろいのだ。
会社に着いたら気を張ってバリバリ働くのであろう人が電車のなかじゃ素の姿なんかをさらけだしていて、時には馬鹿丸だしな人なんかもいる。それが公共の場で見られるということも含め非常に愉快なのだ。
今日見ていたオジサンもなかなか愉快だった。本を読んでいたのだが、すごく肩身が狭いのだ。
肩 身が狭いというのは通常、世間体をはばかる気持ちという意味合いで使われるが、彼の場合は本当に肩幅をこれでもかといわんばかりに縮め、その狭い肩身を揺 さぶりながら首をくねくねさせながら、座席に浅く座って両膝をしっかりと閉じ、本を両手で持ち顔に近づけながら読むのだ。そして時折笑顔。
体にかなり無駄な力が入っている。でもこれが本来の彼の姿だ。
黒の中折れ帽子をかぶっていたが、少しチャップリンを思わせるような動きでなかなか可愛らしかった。
そんなことを考えながら目的地で電車を降りると、駅までの通勤に使っている自転車がパンクしていた。
でもそれはまた別の話。
2008-0605-Thu
{04}
{04}
今日は部屋主タケウチとS藤くんと三人でやきとん屋へ行った。久しぶりのビールと串が最高にうまかった。
ち かごろ絵本が欲しくてたまらない。小さな王様と郵便屋さんの話を読んだ。どちらも好きな話だった。絵本ってなんかこう全部説明しちゃうんじゃなくて、こと ばで感じることもあれば絵で感じることもあって、その絵本の世界のなんとなくの雰囲気がとても好きだ。なんかこうことばだけでも絵だけでも表現できないよ うな。なんか道の向こうにもやもやふわっとした霧があって、うおーおもしろそうーとおもって入ってみたらすてきな郵便屋さんがいて、お話がはじまってる。 みたいな。読んでるうちに登場人物が勝手に頭のなかで動いてて、本にはかいてない仕草とかをしてたりして。でも実際本当にしてそうで。わたしのなかにもう ひとつの世界ができあがるこの感覚。たまらない。
さいきんふと、子供のころに図書館で借りた本のことを思い出した。一度しか読まなかった 本だけど、はじめて自分で借りた本のなかではじめて好きになった本。読書感想文にも書いたけど、いままですっかりその本のことを忘れてた。思い出したら きゅうに読みたくなって、でもタイトルとか覚えてないのでネットで検索。覚えているのは風変わりなまちと風変わりな人たちがでてきたってことだけ。あとは なんとなくの雰囲気しか覚えてない。でもそれらしき本が見つかった。「霧の向こうのふしぎなまち」これ。
表紙の絵もストーリーも、たぶんこれであってると思う。水玉の傘。うん、なんかでてきた気がする。
で、調べてるときにでてきたのが、この話って宮崎駿が千と千尋やる前に、ほんとはこの話を映画にしたかったんだって。あらすじとか比べてみるとたしかに似てる。
うーんはやく読みたい。でも電車賃とお金がないので買えない。
明日は大竹伸朗の展覧会みにいこう。
ち かごろ絵本が欲しくてたまらない。小さな王様と郵便屋さんの話を読んだ。どちらも好きな話だった。絵本ってなんかこう全部説明しちゃうんじゃなくて、こと ばで感じることもあれば絵で感じることもあって、その絵本の世界のなんとなくの雰囲気がとても好きだ。なんかこうことばだけでも絵だけでも表現できないよ うな。なんか道の向こうにもやもやふわっとした霧があって、うおーおもしろそうーとおもって入ってみたらすてきな郵便屋さんがいて、お話がはじまってる。 みたいな。読んでるうちに登場人物が勝手に頭のなかで動いてて、本にはかいてない仕草とかをしてたりして。でも実際本当にしてそうで。わたしのなかにもう ひとつの世界ができあがるこの感覚。たまらない。
さいきんふと、子供のころに図書館で借りた本のことを思い出した。一度しか読まなかった 本だけど、はじめて自分で借りた本のなかではじめて好きになった本。読書感想文にも書いたけど、いままですっかりその本のことを忘れてた。思い出したら きゅうに読みたくなって、でもタイトルとか覚えてないのでネットで検索。覚えているのは風変わりなまちと風変わりな人たちがでてきたってことだけ。あとは なんとなくの雰囲気しか覚えてない。でもそれらしき本が見つかった。「霧の向こうのふしぎなまち」これ。
表紙の絵もストーリーも、たぶんこれであってると思う。水玉の傘。うん、なんかでてきた気がする。
で、調べてるときにでてきたのが、この話って宮崎駿が千と千尋やる前に、ほんとはこの話を映画にしたかったんだって。あらすじとか比べてみるとたしかに似てる。
うーんはやく読みたい。でも電車賃とお金がないので買えない。
明日は大竹伸朗の展覧会みにいこう。
2008-0527-Tue
{03}
{03}
「donguli」オープンしました。ようやっと。
でも肝心の作品のデータがいくつか壊れていたり、ごちゃごちゃしてるのでそれを直さないとまだ落ち着けない。
※今のところfirefoxとsafariとmacIEで動作確認してます。レイアウトはとりあえず問題なく表示されている様子。ただもしかすると、macIEでこのページとnews項を見るとスクロールがしにくくなってるかもせれません。
2008.06.05...追記
IEで動作確認しました。問題なさそう。古いバージョンは確認できないのでわかりません。
でも肝心の作品のデータがいくつか壊れていたり、ごちゃごちゃしてるのでそれを直さないとまだ落ち着けない。
※今のところfirefoxとsafariとmacIEで動作確認してます。レイアウトはとりあえず問題なく表示されている様子。ただもしかすると、macIEでこのページとnews項を見るとスクロールがしにくくなってるかもせれません。
2008.06.05...追記
IEで動作確認しました。問題なさそう。古いバージョンは確認できないのでわかりません。