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2008-0702-Wed
{通勤電車のオジサン}
通勤電車では混んでいるからといって、ただ直立して目的地に到着するのをじんと待つのもしゃくなので本なん かを読んだりするのだけれど、私の目的地は到着するのにそこそこの時間を要するので、それまでの停車駅で人々が下車してゆき席もちらほら空いたりなんかし てそのうちの一つに座ったりなんかすると、急に本に興味がなくなり周りの人間を見渡したくなる時がある。
というのも、世の中にはいろんな人がいるので当然電車の中にもいろんな人がいるわけで、私はそんな人々を観察するのがわりと好きだ。
とくに、通勤のため毎日同じ時間同じ電車に乗る会社員を見るのがこれ一興である。
毎 日同じ時間に同じ電車に乗るという行為はとても退屈で面倒なことで、だからみんな本や新聞を読んだり音楽を聴いたり、それぞれに暇をつぶす、時間を利用す るための道具を用意して通勤に望むのであるが、その道具というものは大概が自分の世界に入り込む、周りからの情報を遮断して自分の空間を作るというような ものばかりだ。そらあ毎日遅刻も許されないので同じ時間に交通機関という名の箱の中に入ってごとごと揺られ、夕方には疲れた体でまた同じ箱の中に入り、望 んでないのにごとごと揺られながら帰途につく。その時間が長ければ長いほど、ただ揺られてる時間がもったいないと殆どの日本人は思う。と思う。
まあそんなわけで電車の中には本を読んだり音楽を聴いたりプライベートな時間に変えてしてしまう輩が続出。さらにそんな毎日になれるともう周りなんかどうでもよくなって完全に自分の世界に入ってもはや当人にとって車内は自分の部屋と化している。
自分の部屋だから新聞を広げて見ることも、大口開けてあくびをすることも、本を見てにやりとすることも、携帯を見てにやりとすることにも、恥じらいなど感じないし、見られていても気にしない。むしろ見られているかもしれないという概念など既に消え失せている。
そんな彼らはもはや通勤中の会社員などではない。家の中での彼らの様子を生で見ているのと同じだ。
つまりなにが言いたいかっていうと、人間の油断している姿を見るのがおもしろいのだ。
会社に着いたら気を張ってバリバリ働くのであろう人が電車のなかじゃ素の姿なんかをさらけだしていて、時には馬鹿丸だしな人なんかもいる。それが公共の場で見られるということも含め非常に愉快なのだ。

今日見ていたオジサンもなかなか愉快だった。本を読んでいたのだが、すごく肩身が狭いのだ。
肩 身が狭いというのは通常、世間体をはばかる気持ちという意味合いで使われるが、彼の場合は本当に肩幅をこれでもかといわんばかりに縮め、その狭い肩身を揺 さぶりながら首をくねくねさせながら、座席に浅く座って両膝をしっかりと閉じ、本を両手で持ち顔に近づけながら読むのだ。そして時折笑顔。
体にかなり無駄な力が入っている。でもこれが本来の彼の姿だ。
黒の中折れ帽子をかぶっていたが、少しチャップリンを思わせるような動きでなかなか可愛らしかった。

そんなことを考えながら目的地で電車を降りると、駅までの通勤に使っている自転車がパンクしていた。
でもそれはまた別の話。
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